【Music コラム】 #7
 英雄にあこがれて

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music
 
 
 

神戸・三宮「PUBGAB」の店長をさせていただいております若林 彰と申します。
今回、音楽の話をということで依頼されまして…ほんの少しだけお付き合い下さい。
 
 
16歳の夏前、1本のカセットテープを友人から借りました。
「ちょっとお前もこーゆーの聴いたら?」
 
それが『THE BLUE HEARTS』でした。
 
当時いわゆる”普通”の高校生だった私。音楽と言えば当時流行っていたJ-POPをごく”普通”に聴く程度。そんなところ耳にしたBLUE HEARTS。ハンマーに打ちのめされたような衝撃。今もよく覚えています。
「なんじゃコレ?」「何かわからんけどスゲー!」体の真ん中が熱くなり、それから狂ったように聞くようになりました。
 
制服の内側からウォークマンの線を通し、授業中誰にも気づかれないように聞いてみたり、自分の机にはコンパスの針でバンド名をほってみたり…今思えばだいぶ恥ずかしいですが、ベタな青春映画の様な事をしながら、学生時代を過ごしました。気がつけば親のギターが自分の部屋に置かれるようになっていました。(全く上手くならなかったですが…笑)
 
なんとなく大学に進み、友達ができました。こいつがまた話し合えるやつでして…それが現在同じポトマックの店舗「黒十」の前田店長ことトモ・G・スターであります。
当時スピッツ好きだった彼(今でもカラオケでよくうたってますが)とすぐ仲良くなり、何かにつけてべったりでした。
20 歳を過ぎたころ彼の「バンドせーへん?」の一言で私の人生は一変しました。
高校時代にテープをくれた友人を加え、3ピースバンドが誕生したのです。トモ・G・スターはG/Vo、友人はDr、私がBでした。
人生初のスタジオ練習。弾きながら歌う事の難しさ、譜面の見方など全く知らなかった私ですが(二人は経験者でした)楽器をかつぎ街を歩くことだけで「俺はお前らとはちがうんだぜ」みたいな優越感をふくらませていました。(今思えば本当にダサいんですが…笑)
 
バンド名は『ザ チェインギャング』。
夜中に酒をあおりながら、Drと二人。その時流れてきたBGMにイチコロでした。
すぐにTELにてトモ・G・スターに伝えると、これが猛反対。彼は彼でイメージ(ザ レストランズとか言っていましたね笑)があったみたいですがゴリ押しにて「ザ チェインギャング」がスタートしたのであります。
オリジナル曲が5曲くらい出来た頃、人生初のライブ。場所は大阪・心斎橋の「アトランティックス」(今もあるのかなー?)
緊張のあまり3人でズブロッカを回し飲み。ライブはどうだったか思い出したくもありません(笑)。
 
 
大学卒業までかなとスタートしたバンドですが「せっかくだからCDを作ろう!」という話になり、このあたりから本格的のライブ活動も行い、念願のCDリリース(タワレコに並んだ時はスゲーうれしかったなー)ラジオとかにも出たりしました。(むっっっちゃくちゃローカルでしたが笑)夢の聖地だった神戸チキンジョージでのワンマンライブが決まったときなどは気が狂いそうでした。
 
いろいろな人にやさしくされ、いろいろな人にチャンスをもらい、その時は本当に調子に乗っていたと思います。あーー恥ずかしい。
 
そんな頃にアルバイトさせてもらっていたのが、ポトマックであります。
私は「ラフレア」でトモ・G・スターは今はもうない「HASU」。
基本的に私たち真面目だったので、よく働いたと思っています(たぶんですが)。
 
 
「始まりがあれば、終わりも来る」。
 
なんとなくそんなことはわかっていました。
ポッカリと空いてしまった私にはそんなに時間もなく、親のスネをかじっていた私には28歳という現実が待っていました。
そんな流れ者の私に手を差し伸べてくれたのが現「TOOTH TOOTH maisonn15th」マネージャーの小森さん。トアウェストのスペインバル「DIENTE DIENTE」(当時)との巡り合わせで新しいスタートを切りました。
 
当時スペインバルは近隣でもあまり見られない業態で、認知度も低かったんですが、店内では「決まり切ったBGMよりは、その時・その瞬間に合ったものを…と考え、自身のCDJを持ち込み、ジャンルレスな空間を意識するようにしていました。
「この曲だれ?」と言われた時にCDのジャケットを見せながらウンチクを垂れたりするのが楽しかったのを良く覚えています。
飲み屋ということもあってお客様に音楽通な方も多く、いろんなエピソードがありましたが…忌野清志朗を聴きながら朝7時までタイマンでの座談会というのがいちばん強烈だったかもしれません(もうほとんど魔界でしたね)。
 
バンド時代のツテもあり、お店のイベント事には生ライブ、DJ、パフォーマンスを取り入れたりとバンド時代の”つながり”というものは今でも大切な宝物です。今考えると、お店でよくやらせてもらえたなと思いますが。
その後もいくつかの店舗担当させていただき、現在「Bar & Bistro 63」「PUBGAB」でも、気持ちのよい音楽、そのシーンに合ったものというのを心掛け、たくさんの方に喜んでいただければと思っています。
 
 
 
この原稿を書いている前日に『クロマニヨンズ』のライブに行ってまいりました。
数年ぶりに見るヒロトとマーシーは、やっぱりヒロトとマーシーのままでありまして…。
汗だくのTシャツがやけに心地よかったです。
ヒロト51歳、マーシー52歳、俺36歳(笑)。
まだまだいける!!
 
英雄にあこがれて
お付き合い、ありがとうございました。
 
 
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thum若林 彰
 
JR三ノ宮駅改札すぐ、三宮ターミナルホテル1F
気軽に飲めるキャッシュオンパブ「PUBGAB」店長。
社内では若兄(わかにい)と慕われる兄貴肌。
 
 
 
 

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